2006/1/25-2/5
Special
今回のベルリン映画祭に出席された日本人の方々の中から、
映画祭について振り返っていただきました。

想田和弘監督(フォーラム部門出品作品「選挙」)

映画「選挙」の誕生


■晴れときどき曇り
 テーゲル空港に降り立ったとき、ベルリンの空はどんよりと曇っていた。しかし僕の心の中には、青空が広がっていた。
 これまでに僕のドキュメンタリー映画「選挙」を観た人は、世界中でも数えるほどしかいない。それをいよいよ一般に公開し、世に問う時が来た。しかもその舞台はベルリン映画祭。これ以上のお膳立てはない。だから天気は晴れなのだ。「選挙」のPRを担当してくれるベルリン在住でベルギー人のシルケによると、先月のプレス用試写でのジャーナリストの反応は上々で、「選挙」はすでに話題の的だという。
 ところが、ベルリンに着いてすぐ岡本喜八監督の特集上映に行ったとき、600人−700人は入りそうな大きな劇場だったので「でかいなあ」と思っていたら、「選挙」もそこで上映されることに気づいて血の気がひいた。
 「選挙」は僕が監督・製作・撮影・録音・編集を担当した個人映画とも呼べるもので、映画としては極めて小さい部類に入るものである。しかもその題材は川崎市議会補欠選挙という、至極ローカルなものだ。そんな作品を見ず知らずのベルリーナーが大勢見に来てくれるのだろうか。僕の心の中の青空には、ぽつりぽつりと雲が浮かんできた。



アレクサンダー・クルーガ氏(左)からインタビューを受ける。
真ん中に座っている女性は同時通訳の人。

取材攻勢
 しかし、そんな僕の心配をよそに、批評家やジャーナリストからの取材攻勢は最初から激しかった。ドイツのオピニオンリーダーと呼ばれる名物キャスター、アレクサンダー・クルーガ氏によるTV用インタビューでは、同時通訳を介しながら、日本の選挙や政治についての質問が容赦なく飛んで来た。クルーガ氏は「選挙」を事前に観て細かく研究しており、僕が発しているであろう政治的メッセージついて、かなり執拗に聞いてきた。僕はクルーガ氏の質問に、こう応酬した。
 「日本の政治状況については、観てくれた人にあれこれ考えてほしいので、僕は敢えてコメントしません。だからこそナレーションや音楽を一切使わず、自由な解釈が可能な作りにしています。『選挙』が選挙制度や民主主義についての議論に火をつけてくれれば本望です」
 僕は常々、映画には「いいたいこと=メッセージ」は不要だと思っている。メッセージを伝えるなら、紙に書く方が適している。では、何を映画で表現するのかといえば、それは作り手の「視点」である。「選挙」は60時間あった素材を2時間にまとめた。言い換えれば、58時間は捨てたということだ。素材をどう取捨選択し、どんな順番で映画を構築するのか。約10ヶ月を要した編集作業によって僕の視点は充分表現できたと思うし、できていなかったら映画は失敗なのだ。



(左から)フォーラム部門選考委員のアンさん、
ディレクターのクリス トフさんと

フレデリック・ワイズマン氏と一緒に

心の師匠・ワイズマン
 様々な批評家たちの取材を受けて興味深かったのは、「選挙」とフレデリック・ワイズマンの新作「州議会」を関連づけて論じる人が多かったことである。
 ワイズマンはドキュメンタリー映画界の大巨匠で、病院、学校、軍隊、警察、福祉施設など、アメリカの様々な組織を40年以上にわたって描き続けてきた伝説的な映画作家だ。僕は彼の作品をニューヨークの図書館にカンズメになってまとめて観た経験があり、多大な影響を受けている。そのワイズマンの「州議会」もフォーラム部門でワールドプレミアを迎えるとあって、批評家たちはすぐに僕の映画との関連性を見い出したのであろう。仏「ル・モンド」紙のソティネル氏が取材の際、「今回の記事は<オールド・マスターと若き後継者>という切り口だよ」と言ってくれた時には、畏れ多くてにわかには信じがたかった。と同時に、フォーラム部門のディレクターであるクリストフ・テルヘヒテ氏が、「作品選びをする際には、作品同士が相互に関連性があるよう、パズルのように組むようにしている」と言っていたのを思い出した。彼のそういう目論みが、功を奏しているのだ。
 当のワイズマン氏には、フォーラム部門のオフィスで初めてお目にかかった。恐る恐る声をかけ、一緒に写真を撮ってもらった。ベルリン映画祭の期間中、あのときが一番緊張したかもしれない。ちょうど僕は「選挙」と「州議会」を並列して紹介しているドイツの新聞記事を持っていたので、氏に進呈した。すると巨匠は、「ほんとにいいの?君も必要なんじゃないの?」と何度も尋ねてきた。巨匠とは意地悪なものだという先入観があり、実は少し恐れていたが、優しそうな人で安心した。


産声をあげた「選挙」
 さて、「選挙」の世界で初めての上映は、2007年2月14日に行われた。「映画はお客さんに観てもらったときに完成する」という僕の説を採用するならば、「選挙」が産声をあげたのはバレンタイン・デーだ。およそロマンスとは縁のない「選挙」には、何とも奇妙なバースデーである。
 そのめでたくも気恥ずかしい誕生日にお客さんが来てくれるのかどうか、気がかりだったことは既に書いたが、上映直前に映画館に行ってみると、入口には黒山の人だかりがあった。その瞬間、僕が抱いていた暗雲は文字通り雲散霧消、快晴に転じたのであった。
実際、巨大な会場がほぼ満席だった。これは「選挙」の力というよりも、長年にわたって良質の作品を上映し、観客の信頼を得てきたベルリン映画祭の力量である。
 いざ上映が始まると、これまでに何百回も観たはずの「選挙」が、まるで初めて観る映画のような気がした。自宅のパソコンの小さなモニターで編集した作品が、初めて巨大なスクリーンに映し出されたせいもあるのだろう、不思議な感慨に包まれた。お客さんは、最初この作品にどう反応していいのか分からないような気配があったが、満員電車のシーンで大笑いすると、あとはリラックスして映画を堪能してくれたように見受けられた。会場に笑い声や拍手、うめき声(!)が起こるたびに、僕は嬉しさで飛び跳ねたくなった。120分はあっと言う間に過ぎた。


2月14日のプレミア上映の後の質疑応答。
司会はフォーラム部門選考委員のステファニーさん。

 上映後の質疑応答は、フォーラム部門選考委員のひとりであるステファニーさんが司会をしてくれた。ステファニーは、完成して間もない「選挙」をニューヨークの試写で観て絶賛し、興奮気味に「ぜひベルリンに招待したい」と言ってくれた人である。「選挙」には恩人と呼べる人が数人いるが、彼女はその一人なのだ。
 ステファニーは、「登場人物がカメラの前ですごく自然に振る舞っているけれど、どんな工夫をしたの?」という質問で口火を切った。「僕もみなさんがあまりに自然なので撮影しながら驚いた」と僕が切り返すと、会場が沸いた。
 「僕が目指すのは『観察映画』なので、現場ではなるべく空気のような存在でありたいと願っています。小さなカメラを使い自分ひとりで撮影したため、その目的は達成しやすかったと思います。また、被写体の人にインタビューすることもほとんどなかったので、いつの間にか彼らも僕の存在を意識しなくなっていったのではないでしょうか」
 会場からは「どうしてこの映画を撮ろうと思ったのか?」「山内さんは次の選挙に出るのか?」「山内さんの奥さんは仕事をやめたのか?」などといった質問があり、僕はジョークを交えながら英語で答えた。質疑応答が拍手で締めくくられた後も、僕の周りにはお客さんが群がり、次々に質問したり感想を聞かせてくれたりした。中にはサインを求めてくる人もいて、僕は大いに照れた。


■山さんのベルリン街頭演説
 こうして、「選挙」の世界初上映は、盛況のうちに終わった。そして、15日には主人公の「山さん」こと山内和彦さんも日本から駆けつけてくれた。
 午前9時に空港に降り立った山さんは、ホテルに荷物を置いただけで会場へ出向き、ベルリン映画祭フォーラム部門のゲストハウスへ顔を出した。すると既に映画を観た人々から歓声と笑い声(!)が起こり、山さんは一瞬で人気者になった。山さんはそこにいる誰彼構わずみんなと握手をしまくり、名刺を配りまくった。「映画と同じだね!」と人々が笑った。
 山さんは、ベルリン映画祭メイン会場前で街頭演説をする予定だ。通りすがりの人々に向かって、映画「選挙」への「支持」を訴えるのだ。僕の妻とオフクロ、弟とその嫁さんがにわか「後援会」を組織し、黄色い揃いのウィンドブレーカーと白手袋を身にまとって「出陣」に備えた。山さんは実際の選挙戦でも使った赤いノボリやプラカードを日本から持参した。僕は街頭演説の様子をビデオカメラに納めるべく、機材を整えた。それはまるで1年半前の撮影時に戻ったような錯覚をさせた。


山さんのベルリン街頭演説

 3時15分、山さんはメガフォンを手に取り、日本語で街頭演説を開始した。
 「ベルリン映画祭ご通行中の皆様、こんにちわ。ドキュメンタリー映画『選挙』の山内和彦、山内和彦でございます。皆様とともに、映画の改革を進めて参ります。どうか、山内和彦に、いや、映画『選挙』に皆様の大いなるご支持を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます!」
 なぜ開始時刻を3時15分にしたのかといえば、実は理由がある。2時から行われる予定のジェニファー・ロペスの記者会見から流れてきたパパラッチを、ごっそりこちらにいただこうという腹黒い?計画だったのだ。これはPRのシルケの発案。さすがプロのパブリシストは考えることが違う。実際にはロペスの会見が遅れ、僕らのコバンザメ作戦は空振りに終わったのだが、それも愛嬌。ジェニファー、今度から遅刻するなよ!
 さて、山さんが演説を始めると、にわかに周辺に人々が集まり、日本語も分からないのに山さんの演説に聴き入ったり、写真をパチパチ撮ったりした。中にはAPやロイターなどのカメラマンもおり、またフランスのテレビ局ARTEの撮影クルーがテレビカメラを回し始めた。集まってきた人々に、妻と母と義理の妹が「選挙」のチラシを配る。すでに映画を観てくれた人の中には、山さんに握手を求める人もいた。僕は夢中でビデオカメラを回しながら、山さん街頭演説は大成功だ!と心の中で叫んでいた。山さんは「川崎の人もこのくらい僕の演説を聴いてくれたらなあ」と、本心とも冗談とも分からないような感想を述べた。



上映後、サインを求められる山さん

■映画スターになった山さん
 その後行われた、山さんをゲストに迎えての上映会は、僕だけのときよりも数倍盛り上がった。質疑応答の冒頭で「今日はスペシャル・ゲストがいます。山内和彦さんです!」と僕が告げると、会場からは大歓声が起きた。山さんには握手やサインを求める長蛇の列が出来て、さながら映画スターだった。いや、彼はあの瞬間、本当に映画スターになったのかもしれない。山さんと一緒に出演したラジオ兼テレビの生番組でも、山さんは独特のオーラを放っているように感じられた。そんな風に山さんが見えたのは僕には初めてだったし不思議だったが、訳も分からず嬉しかった。
 ベルリンに滞在した11日間は、怒濤のように過ぎ去った。終わってみれば、受けた取材は20件以上、新聞や雑誌、テレビ、ラジオ、オンラインメディア等に取り上げられた数は50件を超えた。「選挙」は今後、アメリカやフランス、スイス、香港、カナダ、スペイン、アルゼンチンなどの映画祭を回ると共に、世界26カ国でテレビ放映される予定だ。日本での劇場公開も、参院選前に行う方向で調整している。「選挙」の世界行脚はこれからだが、そのスタート地点となったベルリン映画祭での経験を、僕は一生忘れないだろう。

(2007年3月、ニューヨークにて)



 
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