公益財団法人川喜多記念映画文化財団

千代田区一番町18番地 川喜多メモリアルビル

川喜多賞

第24回川喜多賞
鈴木清順氏 映画監督


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●選考理由
川喜多賞本賞の宝塔を
手にする鈴木清順氏

 1956年の第一作「港の乾杯・勝利をわが手に」以来、1967年の「殺しの烙印」まで日活専属監督として、当時の日本映画産業を支えたプログラム・ピクチャーを40本送り出した。歌謡映画、文芸映画、社会派サスペンス、ハードボイルド、時代劇、任侠もの、さまざまなジャンルを手掛けたが、意表をつくキャメラワークと色彩処理、斬新なスタイルのアクション演出によるユニークな映像表現で、熱烈なファンを増やしていった。「関東無宿」「刺青一代」「東京流れ者」「殺しの烙印」に盛り込まれた奇想とケレンの鮮やかさは、ヨーロッパやアメリカの映画作家と映画研究家にも注目され、日本でも1968年には川喜多和子代表のシネクラブ研究会による画期的な≪鈴木清順映画37本連続上映≫が企画された。しかし、当時の日活 堀久作社長は、このファンの思いとは逆に「鈴木清順は、分からない映画を作る監督である」と専属契約を一方的に破棄した。≪連続上映≫スタート直前の決定だった。フリーの映画監督としての復帰は1977年「悲愁物語」となったが、以後「ツィゴイネルワイゼン」でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員特別賞)、キネマ旬報ベストワンと日本映画監督賞、日本アカデミー賞作品賞・監督賞に輝き、見事なカムバックを果たす。続く「陽炎座」「夢二」「ピストルオペラ」においても戯作者流のユーモアと奔放なマジック・タッチは衰えるどころか、いっそうアナーキーに飛翔しつつある。2005年にはCGまで駆使した「オペレッタ狸御殿」がカンヌ映画祭で公式上映され、サル・ブニュエルを埋めた観客が、上映の前後にスタンディング・オヴェイションで熱烈歓迎した。ますます目を離せない第一線の映画作家である。

      
贈賞式の模様(2006年7月27日)


当財団理事長・岡田正代より、表彰状を受け取られる鈴木清順氏


スピーチの模様



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