パルムドール
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『Elephant』(アメリカ) ガス・ヴァン・サント監督 |
グランプリ
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『Uzak』(トルコ) ヌリ・ビリゲ・ジェイラン監督 |
最優秀監督賞
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ガス・ヴァン・サント (『Elephant』) |
最優秀女優賞
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マリー=ジョゼ・クロゼ
『Barbarian Invasions』(ドゥニ・アルカン監督/カナダ) |
最優秀男優賞
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ムザファー・オズデミール
『Uzak』(ヌリ・ビリゲ・ジェイラン監督/トルコ)
メメット・エミン・トプラク
『Uzak』(ヌリ・ビリゲ・ジェイラン監督/トルコ) |
脚本賞
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ドゥニ・アルカン『BarbarianInvasions』 (ドゥニ・アルカン監督/カナダ) |
カメラ・ドール(新人賞)
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クリストファー・ボー 『Reconstruction』(デンマーク) |
<同スペシャルメンション>
セディク・バルマク 『Osama』(アフガニスタン・日本) |
審査員特別賞
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『Five in the Afternoon』(イラン) サミラ・マフマルバフ監督 |
国際批評家連盟賞
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『Father and Son』(ロシア) アレクサンドル・ソクーロフ監督
『American Splendor』(アメリカ)
シャリ・スプリンガー・バーマン&ロバート・プルチニ監督
『The Hours of the Day』(スペイン) ジェイム・ロザレ監督 |
*日本からの出品作品はこちらから
◆概観◆
第56回カンヌ映画祭をひと言で言い表すなら「静かな映画祭」。
SARSやイラク攻撃などの影響もあって、公式に発表される数はともかくとして、参加者はかなり減少しているという印象を受けた。
開幕前日の13日にはエール・フランスが大々的にストライキを決行というハプニングが発生し、この日にカンヌ入りしようとしていた人たち、カンヌに運ばれるはずの資料等にかなりの影響が出た。
それでも映画祭自体は予定通り開幕した。昨年に引き続き手荷物検査、身体検査は随所でそれなりにきちんと行われ、パスの写真と本人とを照合する作業も念入りだった。オーガニゼーションの不確かさでは残念ながら定評のある(?)カンヌ映画祭であるが、例年の懸案である招待券確保にあたって初めてコンピューター管理されるなど少しだけ諸事情は緩和された。が、相変わらず招待券を持っていても映画を観られないこともあった。配布はあくまでもどんぶり勘定なのだろう・・・。また上映会場前でたまたま余剰チケットを持っている人を求めて、一般の人々が右往左往している。昼間はともかく、ソワレを前にしっかり正装してチケット取りに人々に声を掛けまくっている姿は何度見ても不思議だった。徒労覚悟なのだろうが、まず日本では見られない光景だろう。夜の公式上映にあたって、上映1時間以上も前から会場前は交通規制され、通りの向こう側に渡るのに大きく迂回しなくてはならなくなるなど不自由なことこの上ないが、それでもあの赤絨毯をのぼるセレブリティたちをひと目見ようとする人々で連日ごったがえしていた。
(写真:多くの人々で賑わうメイン会場前)
◆コンペティション部門◆
今回のコンペティション部門にはこれといった強い作品が少なかったというのが率直な感想である。これは大方のジャーナリストとも意見が一致する。カンヌのコンペ部門といえば常連の監督の作品でほぼ占められるのが常だが、今年は「初お目見え」監督作品が多かったのも今回の特徴。作品の完成時期や、海外展開にあたっての方針は製作サイドの事情に大きく左右されるわけだから、いろんな年があって当然ではある。とはいえ今回の状況を踏まえてカンヌ映画祭作品選定委員会が来年の作品選定に関して、より強いプレッシャーを感じているであろうことは想像に難くない。
各賞の選考もすんなりとは決まらず、何度かの審議を経てようやく落着したらしい。ガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』は個人的には大変好きな作品だが、最高賞パルム・ドールと監督賞をダブル受賞するほどであろうかというと少々疑問が残る。アメリカ・コロンバイン高校での銃乱射事件に着想を得て製作された同作品の出演者は、すべてオーディションで選ばれたアマチュア。とある高校での半日が複数の高校生の視点から描かれ、透明感溢れる映像からはひりひりするような痛みが全編にわたって伝わってくる。賞発表前の予想ではラース・フォン・トリアー監督が二コール・キッドマン主演で臨んだ『ドッグビル』が批評家の中では最有力視されていた。9章に分かれた3時間の大作で、アメリカ・ロッキー山脈付近の架空の街を(しかもセットは床にチョークで家々を区切っただけ;斬新)舞台に、例によって独自の視点で人間の善悪を問う力作であった。決して後味の良いとはいえない作品だが、一見の価値は大いにある。(しかし長かった)無冠という結果は意外であった。
日本からはコンペティション部門に2作品が出品された。『アカルイミライ』の黒沢清監督は『回路』『カリスマ』ですでにカンヌは経験済みとはいえ、コンペ部門は初めて。現代の東京に生きる3人の世代の異なる男性たちの微妙な心理や関係性、若者たちの説明しがたい行動をデジタル映像を駆使して製作、すでに公開された日本ではかなりの好評を博した作品である。しかしカンヌに集まったジャーナリスト(特にヨーロッパ人)には分かりづらかったようだ。オリジナル版から20分以上カットされたカンヌ・バージョンでは藤竜也演じる父親側の描写が削り取られていたのも大きい。しかし上映後の観客の反応は概ね好意的で、監督及び主演俳優3人も満足の面持ちであった。この経験が監督はもちろん、個性派俳優たちの次回への布石になることだろう。
『沙羅双樹』の河瀬直美監督も『萌の朱雀』(監督週間に出品)で6年前にカメラ・ドール賞を受賞して以来の2度目のカンヌだった。未だ静謐さを保つ奈良を舞台に、登場人物たちの繊細な心情・家族の喪失と再生を寡黙なタッチで淡々と描く。もともと河瀬監督の作品はヨーロッパの玄人たちから常に高い評価を得ている。本作も閉幕前日、それもパレ(公式上映会場)での上映は一度のみという有利とは言い難い待遇であったが、賞には絡まなかったものの、賞賛の声を多く耳にした。
他に東アジアからは中国の『Purple Butterfly』がコンペ部門に出品された。主演が日本人俳優だったこともあって、日本でも話題を呼んだ出品だったが、いまいち消化不良な感は否めなかった。
今回はむしろ「ある視点」に注目していた人も少なくなかった。「ある視点」の中での最高賞を獲得した『Mille fois』をはじめ、賛否は分かれるものの『Japanese
Story』『Young Adam』などが話題になっていた。
◆監督週間◆
昨年の映画祭直後、前ディレクターが突然解任され、ちょっとした騒動を呼んだ監督週間部門。新体制になっての動向が開幕前から注目されていた。
三池崇史監督の『牛頭(ごづ)』が監督週間に招待されたとの第一報を受けた際には正直驚きを禁じえなかった。ロッテルダム映画祭で紹介されたり、ヨーロッパでも一部にカルト的人気を持つ三池氏だが、カンヌ映画祭は初。カンヌでの反応は賛否両論であったが、三池監督の存在を広くアピールする格好の機会になったのは確かである。
アニメーションや短編・中編をも積極的に選ぶ新ディレクター、フランソワ・ダ・シルヴァ氏の方針は新鮮であった。日本からはアニメ『茄子 アンダルシアの夏』(高坂希太郎監督)、漫画家・松本零士氏とフランスの人気テクノバンド「ダフト・パンク」のコラボレーション作品ともいうべき、SFアニメ『インターステラ5555』(竹之内和久監督)が出品され、好評を得た。
が、多くの人が監督週間に期待するのは、難解でも野心的かつ高い芸術性を持ち味とした、新人(に近い)監督の作品。この部分を無視することはなかったのは賢明だったといえる(カメラ・ドール賞スペシャルメンションを受賞した『OSAMA』など)。
アニメーションといえばフランス製アニメ-ション『Les Triplettes de Belleville』がスペシャルスクリーニングという扱いでパレで上映され、フランス人の賞賛を浴びていた。がしかし、日本のアニメを見慣れた目にはどうしてもキャラクターが可愛く映らない。石造りの建物などをはじめ、背景はよく描き込んであって確かに素晴らしいのだが・・・。
◆特集上映:特別上映◆
とにかく世界中のどの映画祭よりもイヴェントの多いカンヌ映画祭である。他の大映画祭に比べると本数こそ抑えられてはいるものの、常にどこかで映画も上映されており、また普段は会えない人々とのミーティングや会食、パーティにも顔を出さなければならず、スケジュール調整が容易ではない。
もちろん映画祭の主役は世界中から選りすぐられた新作の上映であるが、オマージュ上映、旧作の上映プログラムもカンヌの魅力のひとつ。今年はローマのチネチッタの協力を得て、没後10年にあたるフェデリコ・フェリーニ特集が大々的に組まれた。フェリーニ監督の代表作(『ローマ』『カビリアの夜』『道』『甘い生活』『インテルビスタ』『8
1/2』等』)とともに同監督に関するドキュメンタリーも4本上映された。またサル・ブニュエルでの過去の名作のニュープリント/HD上映(『あんなに愛し合ったのに』『ラ・マルセイエーズ』『スケアクロウ』等)にも多くの関係者が詰め掛け(なかでもプレスが目立った:「他にもたくさんやることがあるんだけど・・・」などと言いつつ)、関心の高さを物語っていた。
また特別上映作品もそれぞれ見応えのあるものが揃い、とりわけジェームズ・キャメロンのドキュメンタリー、『GHOSTS OF THE ABYSS』は多くの人が心待ちにしていたようだ。キャメロン監督が海底に沈んだタイタニック号の船内を3Dで撮影したもので、普段は夜の公式上映に赴くことなどないプレスの人々がこの時ばかりは正装をして並んでいた。
◆マーケット◆
マーケットも比較的静かだった。特にアメリカとアジアからの参加者が激減だったという。(しかし「確かに例年に比べて業者は減ったがその分'冷やかし'も減って、実のある仕事が出来た」との関係者の談話も)とはいえ連日繰り広げられるマーケット試写、商談で配給業の人々は一様に疲労の色を見せていた。各国の業者が軒を連ね、試写会場が集中するリヴィエラ内に、日本からは文化庁の支援を受けたユニ・ジャパンブースと日本映画製作者連盟のブース(東宝、東映が使用)が通りを挟んだ向かい側で出店。その他数社もそれぞれのブースを設けていた。インディペンデント映画の紹介窓口としても機能しているユニ・ジャパンブースのスタッフによると、今回はアニメーションや三池崇史作品への問い合わせが多かったそうだ。また東映の『バトル・ロワイヤル2』は未完成のため7分のトレイラーのみの試写であったが、想像以上の注目が集まっていた。
(写真:マーケット会場の入り口)
◆その他◆
今年のカンヌ映画祭の公式ポスターは、絵柄はなく、シルバー地にピンクのデザインされた文字がプリントされているだけの、洗練された意表を突くものだった。アメリカ人現代美術アーティスト、Jenny
Holzerの手によるもので、Holzerは他にも毎夜、著名な映画作家の語録を光のインストレーションで映写するプロジェクトも担当。旧港に映し出される光の文字を追うのはなかなかに楽しく、カンヌのショーアップに大いに貢献していた。
また恒例のエキジビションとして、ジャン・コクトーの絵画、写真等900点以上の作品がパレのあちこちに掲げられていた。パレ内に設けられたジャーナリスト用のカフェ・レストラン「Le
Bistro」の内装もコクトー作品がモチーフ。海を一望できる絶好のロケーションで、つかの間の休息を楽しんだジャーナリストは多かったことだろう。コクトー氏は第1回カンヌ映画祭の後援者で、3度も審査委員長を務めたカンヌ映画祭ともゆかりの深いアーティストである。今秋にはポンピドゥー・センターで大々的な展覧会が予定されており、カンヌでのこの企画も同センターの協力のもと催された。
映画祭を彩る周辺部分にもカンヌは本当に粋な趣向を凝らす。毎年の洒落た演出に心躍らされるが、演出する側も楽しんでいるにちがいない。
(写真:パレに掲げられたジャン・コクトーの写真の数々)
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