vol.2

 第2回目のカレイドスコープは、溝口健二監督についてご紹介します。

 本財団の業務に、「映画を通じての海外との交流」がありますが、これは創設者・川喜多かしこの願いであるとともに、川喜多長政の夢でもありました。
 1923年にドイツへ留学した長政は、日本に対する間違った認識の酷さに、いつかは正しい日本を紹介したいとの希望を抱き、映画の輸入会社を設立すると同時に、日本映画の海外紹介を計画しました。
 そこで先ず選んだのが、溝口健二監督の『狂恋の女師匠』でした。また、かしこの入社して最初の仕事が、この『狂恋の女師匠』のパンフレットを英訳することでした。かしこはパンフレットにある“恋よ恋、われ中ぞらになすな恋”などとある文章を、「素晴らしく訳してみようと張り切った」と書き残しております。
(写真左:『狂恋の女師匠』のセットにて、作品輸出の打ち合わせ。左より主演の酒井米子さん、川喜多長政、溝口健二監督。写真右:東和商事の事務所にて、仕事をする川喜多かしこ。1934年頃撮影。)
 


      
『狂恋の女師匠』のセットにて    
左より、溝口健二、酒井米子、川喜多長政
     



(19
26年 日活京都映画)


【監 督】 溝口健二
【原作・脚本】 川口松太郎
【撮 影】 横田達之
【出 演】 清元延志賀/酒井米子
       新吉/中野英治
      お久/岡田嘉子

〜あらすじ〜 円朝の怪談「累ヶ淵」を現代化
 
  神田祭の夜、新吉は清元の師匠延志賀にかき口説かれて心無くも契りを結ぶ。伊勢彦の娘お久は継母に苛まれるのが辛さに師匠の家に通うが、延志賀はそのことを邪推し新吉を責める。嫉妬から病気になった延志賀は顔の半分が見ることもできない無残なことになる。延志賀の嫉妬に居た堪れなくなり家を飛び出した新吉はやはり家を飛び出したお久と偶然に会う。延志賀は嫉妬に狂い死ぬ。
  延志賀の四十九日が過ぎ、駆け落ちしようとした二人だが、延志賀の怨霊がお久にとりつき、お久の顔が延志賀に、新吉は思わずお久を斬り、自らも鎌で喉を突いて落命した。


 今や日本を代表する映画監督として、海外でも大変に評価の高い溝口監督作品ですが、日本の生活習慣を理解していなかったヨーロッパの人たちにとっては、膝を折って座る、箸でする食事等、すべてが奇異に映ったようです。最初は笑いの対象にしかなりませんでした。

 徐々に日本の文化が世界に知られるようになると、溝口健二監督は1952年の『西鶴一代女』でヴェネチア国際映画祭の監督賞を受賞。翌年の同映画祭では『雨月物語』で銀獅子賞を、そしてその翌年も『山椒太夫』で銀獅子賞を受賞するという快挙を達成しました。

  
1953年ヴェネチア国際映画祭にて
(左写真)田中絹代さんと溝口健二監督
(右写真)左より清水千代太氏、溝口健二監督、川喜多長政、田中絹代さん

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