公益財団法人川喜多記念映画文化財団

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パノラマ

カレイドスコープ
『サタジット・レイ 監督』 〜その1〜


 第3回目のカレイドスコープは、サタジット・レイ監督についてご紹介します。

 かしこは長年の友人でもあるレイ監督について、「呼吸を整えペースを計って一歩一歩より高い創造の道を登っていくサタジット・レイさんこそ、本物の映画作家だと私は思います」と書き残しております。
 二人の交流は長い年月に及び、かしこの遺したものの中には、レイ監督夫妻からの手紙が多くあります。お二人からのお手紙は、いずれも誠実な人柄を表す内容に満ちております。
 また、岩波ホール総支配人の高野悦子氏と始めた、陽の目を見ない世界の名作を上映するための運動“エキプ・ド・シネマ”は、レイ監督の「大地のうた」三部作の未公開だった「大樹のうた」を上映することから始められたのです。その後も「大地のうた」三部作の一挙上映、「チャルラータ」「詩聖タゴール」「遠い雷鳴」をはじめ、遺作となった「見知らぬ人」まで、短編の「ピクー」などを含めると、レイ監督の15作品を岩波ホールで上映しております。
(次ページのフィルモグラフィーをご参照ください)       


サタジット・レイ監督 プロフィール  Satyajit Ray
 1921年5月2日、インド・カルカッタ生まれ。祖母は画家で詩人で科学者、父はベンガル文学の古典文学者、そしてインドの文豪タゴールとも親しいという家庭に育つ。
 当初は広告会社の美術部に勤めていたが、インドで『河』を撮影したジャン・ルノワールとの出会いなどがきっかけとなり、映画への道を志すようになる。
 1955年に初監督作品「大地のうた」を完成させ、 翌56年のカンヌ映画祭で人間的ドキュメント賞を受賞、一躍その名を世界的なものにした。
 また、彼は自ら作曲もする音楽的才能にも恵まれており、いくつかの作品で音楽も担当している。
 「大地のうた」に続く「大河のうた」「大樹のうた」三部作をはじめ、インド・ベンガル映画のすぐれたリアリズムの伝統を大きく前進させ、インド映画の声価を国際的なものとする大きな功績を果たした映画監督であった。
 1992年、逝去。



レイ監督夫妻からの手紙

長年に渡って築かれた信頼関係を物語るかのように、
かしこ宛てに送られたレイ監督夫妻からの手紙が、
今もなお数多く保管されています。




サタジット・レイ監督からの手紙。
ネーム入りの便箋で書かれています。




ビジョヤ・レイ監督夫人からの手紙。
インド的なデザインのかわいらしいレターセットで送ってくださいました。
 

写真で見る、かしことサタジット・レイ監督の歴史



1965年インド映画祭出席のおり、カルカッタのスタジオを訪問。
左よりかしこ、レイ監督、ビジョヤ・レイ監督夫人、
俳優のショウミットロ・チャタルジー氏(「遠い雷鳴」等に主演)、ビジョヤさんの従妹、
撮影監督のシュブロト・ミットロ氏(「大地のうた」等、多くのレイ監督作品を担当)
 
  

1966年、レイ監督が来日した際に鎌倉へ。右は、鎌倉の川喜多邸にて。
 
 

左)1972年テヘラン映画祭にて。
  左より川喜多長政、アルベルト・ラットゥアーダ監督、かしこ、レイ監督
右)1975年のインド映画祭にて。
 

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