公益財団法人川喜多記念映画文化財団

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パノラマ

シナリオを書いてみませんか? その3  2012年9月4日掲載

 
 

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●ト書きについて(1)



余り詳しく書き過ぎると
監督から怒られる場合も。。。

 ト書きとは、登場人物の動きやその場の状況を説明するもので、そこに書かれた内容がそのまま画面に登場するわけではないのですが、極めて重要な役割を果たすものです。登場人物が立ったり座ったり、動いたり、画面に途中から登場したりする場合に書きます。人物の身体の動きだけでなく、心の動きも書くことがあります。私はよく脚本家に、シーンの一番最初に、そのシーンに登場する人物を列挙して欲しいと頼みました。そうしないと、撮影に際して、そのシーンにいなければならない人物でも、セリフがないと落としてしまうことがあるからです。シナリオは監督へのラヴレターだと言われます。シナリオを書く場合、実際の場面、場面の映像を的確にイメージして監督に伝えなければなりません。しかし、そうかといって、余り詳しく書き過ぎるのもいけません。「それは演出の問題だ」と監督から怒られてしまいます。小説ならば「お茶を入れる為に台所へゆっくりと歩いていった」と書くところを、シナリオでは「台所に立っていった」と書けば充分です。シナリオでは前後の事情が映像になっているのですから、細かく書かなくても、監督や観客に理解してもらうことができるのです。なるべく端的に人物の動きだけを書くことをお勧めします。

 昔、60年代までのシナリオはト書きがあまり書かれていませんでした。当時の脚本家は「俺のセリフは立って言うセリフと、座って言うセリフを分けて書いている。だから、「座って」とか「立って」とかいうト書きは書かない」と豪語していました。しかし、最近のシナリオではかなりト書きが多くなっています。これは撮影所で何年も修行を積んだ監督とテレビなどで育った監督とではシナリオの読解力が違うということで、脚本家が監督不信になってしまったことが原因かも知れません。いつのまにか本読みに脚本家が立ち会うというあまり良くない習慣までできてしまいました。或いは、シナリオが、映像になることを前提としないで、それ自体で作品として成立するようになったため、監督という媒体を通さずに自分の意思を的確に伝えなければならない為、ト書きを書き込むようになったとも言われています。 (次のページへ)


 

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